山と渓谷2013年11号
  朝熊ケ岳をこよなく愛し3000回も朝熊山へ登頂した東浦奈良男さんが死んでから2年近くなってきました。(2011年12月死去86才)
 連続登山1万回はかなわず夢に終わりました。
 その節目節目で「山と渓谷」本に登場していましたが、2013年11月号にも記事が載っていました。



 日時 2012年8月26日(土)
  
  地元の朝熊ケ岳など毎日連続登山に挑戦していた。小俣町の東浦奈良男さんが、2011年12月86才で亡くなられた。
 本日の中日新聞に東浦さんの山歩きをしていときの写真展が小俣図書館で開催されるという記事を見て早速駆けつけました。
 展示作品は、東浦さんが亡くなる五年前から登山の同行取材していた東京のフリーライター吉田智彦氏が撮った作品で30点展示されていました。
 元気に朝熊け岳へ登られていた頃の写真もありました。22町道、鈴を鳴らして歩いていました 近寄ると毎度毎度「やぁどうも」という挨拶でした。懐かしい。 
 左、白猪山で9千日登山達成したときの俳句。
「のみが見ている」ーー上手いなぁ。俳人だ。それに襖に書かれた富士山の絵も素敵だ。絵の才能も持ち合わせている。



 「山と渓谷2012年4月号」に掲載された東浦奈良男さんの記事。

「山と渓谷2012年4月号」

2012年3月17日 (土) 鎮魂
 東浦奈良男さんが2011年12月6日に亡くなられた。とても信じられなかった。
 一万回連続登山は必ず達成してくれるものと思っていたので本当に驚いた。
 連続記録は、9738日と山渓に書かれている。
 ギネスに乗ってもおかしくない大記録です。今は、本当にお疲れさま安らかにお眠りください。

 私が、最後にお合いたしのが2011年春のこと。市内の蓮隋山(114m)に登られた帰り回お会いしたが、体がかなり衰弱されていたので言葉もかけられなかった。
 初めてお合いしたのは、今から25年位前、東浦さんが朝熊ケ岳へ毎日登山していた頃である。
 その時、聞かされた言葉が今でも忘れられぬ。
 食事は、朝と夕の2食のみ。水や食べ物は待たず歩いておられた。
 リュックの中味は、雨具と日記帳だけである。雨具といっても骨のない笠である。云わば風呂敷みたいなもの。
 水を呑まなくて喉が渇きませんかと聞いたら、体が要求しない。原点は、比叡山千日回峰である。修行すれば水は呑まなくて歩けるということらしい。
 一山登るごとに俳句を書いていた。登った山と日付と句が日記帳に記されていた。その帳面に名前と住所と勤務先をサインしてくれとーー頼まれた。私も一語「朝熊の仙人にあえて疲れなし」と書いてサインした。
 リンリンと鈴を鳴らして歩いたので遠くからでも歩いてくるのが分かった。右のはがきは東浦さんから平成16年3月6日貰ったものです。

 東浦奈良男さんは、富士山と朝熊ケ岳をこよなく愛し。その当時、朝熊ケ岳へは小俣町から毎日歩いて登山されていた。

 もう一人朝熊の主と云われていた東浦さん(鹿海町在住)も亡くなられた。両巨頭が同年に亡くなられたのは何か因縁みたいな感じさえする。
 でもさびしい。両東浦さんにはいろいろと楽しいお話を聞かせていただきありがとう。
 今日も沢山の人が朝熊ケ岳へ登っています。


 2012年8月25日付中日新聞

2002年1月11日付中日新聞 

2001年4月10日付中日新聞 
 

2000年 

 1987年7月27日付中日新聞