2014年 2013年 2012年     朝熊ケ岳INDEX

 故郷の山・朝熊ケ岳(555m)は、地元では朝熊山と呼んでいます。
 江戸時代は、全国から金剛証寺へ蟻の行列のように訪れた朝熊山。
 この地方の人にとっては信仰の対象である。
 死者を弔う際、最後に岳参りをする慣わし。
 親族等が、金剛証寺奥の院へ来てお経をあげ塔婆を建てる。
 死者は、ここから極楽浄土(あの世)へ旅立つのである。
 この世とあの世の橋渡しとなる巡礼の道だ。

  天照大神(あまてらすおおみかみ)は云った。
 伊勢の国は、理想郷の波が打ち寄せる豊かな地であるとこの地に鎮座したいとーーー。
 朝熊ケ岳は、この地になくてはならない豊饒の山である。 

2011年12月31日(土)大晦日
 13町付近から伊勢市街
 10町橋から伊勢市街
 外宮のドンドコ火

2011年12月05日(水)鳥羽(堅神)岳道を行く

 鳥羽岳道。三角錐をした山が飯盛山。右端が朝熊ケ岳・(県道堅神付近から撮影)

 <初めに>
 鳥羽岳道を初めて歩いたのは、1990年代当初。12月5日(月)に歩いたのが二度目である。
 鳥羽岳道の町石は、三町毎に山頂まで50町石建てられていたとある。
 今日見たのは5町石のみだった
 
 <現況>
 伊勢志摩スカイライン開通(昭和39年)するまでは金剛証寺の開山忌などには登る人で賑わったが、今は登る人は少ない。
 地元山会のテクロウ会さんが定期的に登っているときく。

 <登山口までの交通>
 @電車
 近鉄「池の浦」駅で下車するのが便利。
 帰りは、朝熊駅から乗車。
 A自家用者。
 車が二台ある場合は、出会いの広場と近鉄池の浦に留める。
 B徒歩。
  今回、朝熊出会いの広場に車を留め近鉄池  の浦駅まで歩いた記録。
  距離凡そ5.6キロ。タイム90分。

 <池の浦駅〜山上公苑の距離とタイム>
 距離5.8km タイム2時間余
 
 <登山道>
 ツバキなどの常緑樹が多い。植林はあまりなされていない。
 踏み跡は付いているが、登山者が少ないので道はやや荒れ気味である。
 テープは巻かれているが、やや暗い感じの登山路につき複数の人で歩きたい。
 
 <飯盛山>
 標高367mである。
 登山路は、直道と巻き道あり。
 分岐から10分ほどで飯盛山に着く。
 山頂は、樹林の中で展望なし。
 山頂東部に大展望が開ける。
 伊勢湾口の眺めが雄大なので立ち寄ってほしい
 

 <朝熊岳までの行程図>










 近鉄池の浦駅下(右)のガードを潜り登山口へ向かう
 堅神集落を南進1キロ弱で地蔵尊の立つところが登山口

 標高367mの飯盛山への標識。
  飯盛山東にある大展望地から見た伊勢湾口。   

2011年11月20日(日) 朝熊・丸山道を探索 全行程軌跡図
  丸山岳道(朝熊ケ岳への道)には、庫蔵寺という古刹なお寺がある。朝熊金剛証寺の奥の院として弘法大師が虚空蔵菩薩を安置した古寺である。
 庫蔵寺は、丸山という山の中腹に建てられている。
 この丸山は、三角点のある低山だが登る人はいないヤブである。
 今回、探索した二つの道を下記の地図に記す。

 @丸山三角点付近探索。
   丸山三角点(288.3mからピンクの線に沿って西尾根から谷へ向かうことにしていたが、途中サルトリ    イバラに阻まれ(鎌やハサミ持っていないので)右尾根に乗り換える。
   コブに来るとまたもや猛烈なブツシュで一般道へ逃げ込む。
   反対側から探索するするのが良いかも。

 A朝熊山上公苑へ最短距離で上がれる道を探索。
  急登だが木に掴まりながらよじ登る。足元は固く登りやすい。丸山道から尾根まで20分程度。

 ●丸山(標高288.3メートル)
   三角点へは、庫蔵寺の上を直登する。
   三角点のあるところに御墓がある。
   昔の人が祀られているのか、今は荒れ放題であった。
   庫蔵寺との関連がありそうな気配を感じた。

  ●よさこい踊り
    山上公苑に来たら、若者たち100名位が(衣装を着て)
    よさこい踊りを楽しんでいた。

丸山三角点(標高288.3メートル)

朝熊山上公苑でよさこい踊り

2011年10月18日(火)      壊している最中のテレビ塔の建物

         伊勢湾と鈴鹿の山並み

             二見戦国時代村
アサマリンドウを愛でる
 前日の天気予報を聞いて朝熊ケ岳へ登る。
 予報どおり秋空の良いお天気だ。
 8時30分、出会いの広場は既に10台も駐車している。ウイクデーなのに朝早くからこんなに留っているのに驚いた。
 昔、仕事で知り合いの老人が近くにいた。
 彼は、一日間隔で登っているとのこと。今から登るものかと思っていたら帰り仕度をしていた。
 毎日登山している人もかなりいると聞いた。

 上から三人すれ違う。
 おばァちゃんも一人で降りてきた。元気に挨拶をしてくれた。
 朝熊峠では、これから登る4人と一緒になる。

 アサマリンドウ探しにいく。
 目星の付けてある場所に向かう。
 今が、花の見頃で嬉しかった。
 別の場所に移動するが、こちらは探すのに手こずる。何とかぼちぼちと咲いていた。
 12時撤退。

 センブリ
 センブリは、登山道iにも沢山見かける。
 16日登ったとき、一株に沢山花が付き、花も大きくて見栄えの良いものをマークしてあったのですが、今日は株なりごっそり持っていかれたあとがありました。
 悔しいです。

 山頂に来たらテレビ塔を壊し中。
 一昨日は手始めだったが、今日は半分壊れていた。
 伊勢湾の眺めが良い。
 奥の四日市方面まで見えた。
 背景には、鎌け岳など鈴鹿の山並みが確認できた。対岸を見ると渥美半島も良く見えた。
 残念ながら富士山は見えなかった。 


2011年10月16日(日)        壊している最中のテレビ塔の建物

      霞みでぼんやり見える二見戦国時代村

             センブリ
花を探しに登る
 10月半ばなのでアサマリンドウを探しに午後からでかけました。
 14時頃十二町石付近で、上から10人位中高年の団体さんが降りてきました。
 すれ違う際にどちらから来ましたかと尋ねると、シヤレで神戸(かんべ)とも言います。三重県の人
 直ぐに女性の方が言いなおして兵庫県の神戸市(こうべ)と答えてくれました。

 十八町石付近でまたまた10数人の中高年の団体さんが降りてきました。津市から来ましたと。

 その他、上から降りてきた15人(個人)位の人とすれ違いました。

 14時40分山頂に到着。
 テレビ塔を見たら上にアンテナがなく下の建物は壊しかけています。
 自宅から朝熊ケ岳が見えますが、このような事になっているとはびっくりしました。
 
 アサマリンドウを探しに歩きました。
 以前は、登山道沿いにも沢山ありましたが、ほとんど見かけません。
 今日は、時間切れで数株しか見つけられませんでした。
 昨年、団体で花盗りに来ている人を見ましたが、
何もできず悔しい思いをさせられました。
 絶滅が心配です。


 。


2011年10月12日(水)
      一宇田の頭巻き道に立つ地蔵。

         朝熊峠であった中年夫婦

     羽の一部を損傷しているアサギマダラ
 宇治岳道にアサギマダラ飛ぶ
 ホームページ「宇治岳道62町」コースをリニューアルするための取材に歩いた。
 62町石のうち昔の位置にある町石は少ない。
 一宇田の頭を巻く登山道には、数多く地蔵さんが残っているので、岳道らしいところである。その他もぼつぼつと残っているが、多くは一箇所まとめて置かれている。
 ケーブルカーが出来た頃、山上駅から金剛証寺山門までバスが走っていたので、地蔵を移動せざるをえなかったものと云われています。
 ケーブルカー廃止された後も内宮から金剛証寺山門までバスが走っていました。

 朝熊峠では、22町から登って来た。中高年夫婦二人と出会う。背中にしきびの木をリュックに入れて背負っていた。今年が7年目で塔場が撤去される年なので最後のお参りに来たと話していた。

 金剛証寺本街道を歩いていたら、リュックを背負った若い女性と出会う。
 彼女は、一人で久居(津市)から来たという。
 最近、この山で若い女の人と話をしたことがないので、活力を貰った。
 昭和の時代が懐かしい。
 
 彼女とすれ違った後、アサギマダラが2匹も飛んできた。5分ほど歩くと交尾をしているものと近くに一匹。全部で5匹以上見た。
 花の蜜を吸っていた蝶に接近し何とか撮影できた。羽を動かし栄養を蓄えているようだ。
 間もなく長距離フライトのため、体力を付けているようにさえ見える。
 家へ帰って、画像を引きのばしたら羽が一部欠け痛々しい。これでは、長距離フライトは困難だろう。良く見たら左の羽に人間が記したマーキングあり。羽を壊したのは、その時だろうか。
 長い旅路にただ無事を祈るのみだ。




夫婦岩大しめ縄切れる(2011年09月22日(木)中日新聞記事)
 台風15号は迷走したあげく日本列島に上陸し暴れて行きました。 
 伊勢地方は、さほど被害はなかったようですが、9月22日中日新聞の朝刊に夫婦岩の綱が切れたとの記事を見て、現地に行ってきました。
 9時過ぎ、現場に着いたら氏子たちが綱を貼り替えている最中でした。
 約1時間後に修覆されました

左、9/22日中日新聞記事。
下、9/22日修覆中の夫婦岩

 冊子「朝熊ケ岳に遊ぶ」(2011年09月10日(土)中日新聞記事)
 昔日、奥山さんと台高 へご一緒したことを思い出します。
 あの頃は確か「いせ愛山会」に所属していたと思っていましたが、「テクロウ会」にいられるのですね。
 
 お元気なご様子を拝見させていただきました。これからも体に気をつけて山登り続けてください。

 本は参考に見せていただきたいと思っています。

2011年09月06日(火)
      チャボホトトギス         
 チャボホトトギス 
    

色付いて来たサルトリイバラ

 9月6日16時の神島と伊良湖岬
台風12号後の伊勢湾とチャボホトトギス
  台風22号が9月2日から4日間四国・中国・紀伊半島に豪雨をもたらしました。
 紀伊半島には総雨量2000ミリ近く降ったところもあると新聞に載ってました。

 伊勢も非常事態でした。
 宮川の上流で総雨量1600ミリの豪雨が下流の伊勢に押し寄せてきました。
 堤防の近くの町は、避難勧告・避難指令がでました。
 一部堤防から水が溢れましたが、幸いにも被害は最小限で済みました。後、数時間も降れば市内は水浸しになるところでした。

 翌日(6日)朝熊山に登り伊勢湾を眺めました。
 宮川から流れた濁流が海流に乗って茶色の帯が鳥羽方面へ流れているのを確認しました。こんな光景を見たのは初めてです。
 翌日(9月7日)の中日新聞にも、山上公園から見た濁流の写真が掲載されていました。(下記参照)

 思いがけず、三重県では絶滅危惧U類チャボホトトギスを見つけました。二株も咲いていてびっくりです。
 友人は、朝熊ケ岳で見たと聞いていましたが、私は40年も朝熊に来ているのに今日が初めてです。
 家へ帰ってから、花図鑑で調べたところ、花は一日で散ってしまうとあります。これまた二度びっくりです。運が良くないと見つけることは困難ですね。忘れ草になりました。
 
 <チャボホトトギス>
 黄色ホトトギスは、高山に咲くタマガワホトドギス、三重県南部にはチャボホトトギスが咲く。一見ホトトギスに見えないがよく見ると黄色い花弁に斑点があり花柱の姿からもホトトギスの仲間である。
 チャボは、本種がキバナホトトギスの矮性種であることから鶏の矮性種チャボ(矮鶏)に例えたものだと言うがけして花は小さくない。
 葉が地面にへばりつくようで背が低いので、気がつかないで踏んでしまうことがある。


         9月7日中日新聞伊勢志摩版
朝熊ケ岳から見た伊勢湾。
濁流が鳥羽市方面へ茶色の帯で流れています。右上音無山。
白い建物は、戦国時代村の安土桃山城です。

9月4 日午後、宮川岩出の水位計は、堤防から氾濫しています。

2011年09月01日(木)
山と渓谷2011年 9月号へ朝熊ケ岳が隠れた名山としてリストアップされました。
 
 

2011年05月31日(金)
 宇治岳道の神宮ツツジ
 タイム 登山口から朝熊ケ峠まで6.5キロ
朝熊峠から朝熊ケ岳まで0.7キロ
片道3時間ほど。
帰路は、
朝熊峠から出会いの広場2.4キロ
45分。
朝熊ケ岳・山上公園を散策すると余分に90分程度必要。
 交通  登山口・交通アクセスなど詳しくは、
上の朝熊ケ岳INDEXから宇治62町をクリックしてください。
 天候  晴・単独
 5月31ジングウツツジを見に朝熊山へ登りました
 ジングウツツジの開花期は、5月下旬〜6月上旬で少し遅めです。ツツジの種類は多いが、この種は葉っぱの形が特徴です。ジングウツツジの生える場所は、蛇紋岩です。
 蛇紋岩は、アルカリ性でジングウツツジは蛇紋岩でないと育ちません。従って、採取して家へ持ち帰っても枯れてしまいます。

 別名、シブカワツツジ。
 名前のとおりングウツツジは伊勢市で発見されました。その他、静岡県浜松市、愛知県新庄市の一部にのみしか分布する貴重な植物です。

 登山口は、内宮宇治橋の近くにあります。
 宇治道〜朝熊峠まで6.5キロほどです。この山道沿いに延々と咲いていました。これほど沢山咲いているのは、他にはないと思われます。

 ここは、伊勢志摩国立公園の中心地でもあるので、保護はなされているものと思われますが、この貴重な花を未来に残すため大切に管理して欲しいと歩きながら祈らずにはいられませんでした。
 環境庁、地元行政、神宮司廰の取り組みに期待します。

 【ジングウツツジ】
 

 【登山道に咲いていた花】


 2011年03月11日(金)晴                五知駅前にある道標
               磯部登山口

               山伏峠の三角点道標
 磯部岳道〜朝熊ケ岳〜一宇田頭
東北大震災が起こる)
 コース  五知駅〜磯部岳道登山口〜山伏峠〜金剛証寺〜山上公園〜朝熊岳証寺〜朝熊ケ岳〜朝熊峠〜一宇田の頭〜宇治道〜神宮司廰
 タイム  9時00分〜16時40分
   単独
 
 今日、東北太平洋巨地震が発生した。
 15時頃、一宇田の頭を少し下り伊勢市街が望める場所に来たら、防災を知らせるサイレンが突然山に鳴り響いた。
 始めは、宮川放水時の警報サイレンかと思ったが雨も降っていないので様子が変だ。火事にしては余りにも長い時間騒がしい。マイクの声も異常に聞こえた。
 サイレンとマイクの叫び声は、津波警報で「避難せよ」との警報であったことが、帰宅してから分かった。 
 テレビを見たら、津波で東北沿岸の町を丸呑みしていく映像を見てこれが現実に起こっているとはとても信じられなかった。
 翌日の新聞・テレビでは
 死者一万人を超えるとか。
 福島原子力発電機も損害を被り放射能が漏れているとか。
 千年に一度の巨大地震
は、大災害を東北地方にもたらした。せめて寝袋や水を渡せないものだろうか。何もできない悔しさを同時に味う夜でした。後に震度9.0と訂正された。
 毎日、テレビはこの大震災を報じている。余りにも悲惨で見ていられない。何とかしなきゃ。かみさんは○万円は寄付せいという。小遣いを全部はたいてしまうが、どないとかせんといかんーーー。
 
 <今日の山ポイント>
●宇治岳道。清水橋(スカイラインと交差する橋)から、一宇田の頭東峰(419)から三角点のある西峰(389.3)へ、そこからスカイライン沿いに、一宇田展望台へ行く。暫くスカイラインを歩いて宇治道に戻る。朝熊ケ岳の違った顔が見えた。この時巨大地震が発生していた。
 楠部峠から宇治道旧登山口へ。登山道というより庭園のような道にびっくり。山好きな人がコツコツと整備していると噂で聞いていたがこれほど立派になっているとは、想像もしていなかった。頭が下がるよ。

 【金剛証寺三つ葉葵の御紋がある鬼瓦】

 【金剛証寺・弘法大使】

 【金剛証寺奥の院】


 朝熊山をこよなく愛し、毎日のように登山していた、鹿海町の東浦九一さんの塔姿を見つける。やすらかに眠れと合掌する。

【山伏峠・標高498.3メートルの三角点】

 【一宇田の頭付近50000図】

 【一宇田の頭・標高389.3メートルの三角点】

【恐怖の巨大地震(マグニチュード9.0)が起こっていた】
 15時頃、一宇田の頭を少し下りこの場所で写真撮影をしていた。
 突然、防災を知らせるサイレンが山に鳴り響いた。
 始めは、宮川放水時の警報サイレンかと思ったが雨が降っていないので火事かとも思ったが、一定の間隔で何度も何度も連続して鳴るしマイクで絶叫している声も聞こえたのでこれはおかしいと思いながら帰宅して、家の者から始めて東北で大地震が有ったことを知りその謎が分かった。
 サイレンとマイク叫び声は、津波警報で「避難せよ」との警報であった。

 【宇治岳道登山口】

ここが、江戸時代の登山口です。入口にある碑は、伊勢市内では最も古い石碑で貴重な文化遺産です。

 本コースより近いので宇治道は毎度ここから出入りしています。

朝熊ハイク寸誌
2011年)

               登山口         

            岳道

           ケーブル跡

              第一トンネル

                  第二トンネル

            トンネル内
            ケーブル駅舎
朝熊ケ岳(555m)
日 時 2011年02月15日(火)晴
コース 22町登山口〜十町橋〜ケーブル跡〜宇治道〜朝熊峠〜金剛証寺〜東峰〜奥の院〜谷道〜朝熊ケ岳〜朝熊峠〜22町登山口
タイム 9時30分〜14時00分
人数  単独
寸 誌
 2月14日15時過ぎから、夜にかけ三重県南部にも大雪が降った。夜中には止んだが、11日に降った量よりは多そう。
 2月15日朝、
 昨夜の大雪で外は、白一色の景観となる。
 白く薄化粧した朝熊山は、4日前より少し厚化粧をした感じである。
 今日は、気温は高めながら良いお天気だ。
 青い空に誘われるかのように朝熊行きの身支度をしていた。リュックの中身は、水・ポット・カメラ等軽装備である
 9時過ぎ自宅出発。
 道路上は、シャーペット状態の雪道である。日陰のところは凍結し、11日より道路事情はかなり悪い。
 出会いの広場へ着くと4台ほど車が留まっていた。

 11日ここへ来たときは、いかにも雪国へきたという風情がありとても感動したが、今日は雪が降っていないので以前より感激は薄れた。

 9時30分出会いの広場出発。
 4日前は、ふわふわした雪の上を歩いて感触は良かったが、今日は先行者が歩いた跡を追いながら歩く。
 十町橋で下に降りケーブルカー跡を歩く。
 真っ白なスロープの先に第一トンネルが見える。距離にして200メートルくらいか。橋から見ると勾配はさほどきつく見えないが、歩くとかなりきつい。線路跡なので多少段差はあるが、深みに嵌ることはないのでラッセルを楽しみながら歩けた。
 トンネル入口に来ると雪は深くなる。
 トンネルの中に入る。
 中は薄暗いが、出口が見えているので安心である。左側の急な階段を一歩づつ上がっていく。何時もなら10分程度で抜けられるのだが歩いた割には進んでいない。

 トンネルを抜けると第二トンネルが見える。
 第一トンネルとほぼ同じような長さである。幅は4〜5メートルと余り変わりない。積雪は20cmくらい。ミニゲレンデーの感じがしないでもない。スノーシュウの試し歩きには絶好の勾配である。
 次のチャンスがあればアッセントンを持って登り下りをしてみよう。左側に階段があるので靴で探りながら一歩一歩進む。
 第二トンネルを抜けると駅舎が見える。
 距離は、前より少し長い。
 勾配は、一段ときつくなり雪が深い。ここも雪に埋もれた階段を探しながら歩くと楽にあがれる。

 駅舎付近は、立ち入り禁止の鉄条網がある。左に廻りこみながらコンクリートの上を這い上がるが、足の短い人は苦しい。昭和19年営業停止した建物(コンクリートの構造物や駅舎)が、そのまま放置してある。
 当時、ケーブルカーといえば箱根か朝熊かといわれたほど人気があったとーー宇治山田市史(現伊勢市)に書かれている。戦争が深まり線路は鉄砲弾になり変わった。

 以前は駅舎の横から展望台にあがれたが、今は封鎖されて通れない。宇治道に出て、100メートルほど宇治側の方へ歩くとNTTの電波塔がある。その前から入ると展望台に来られる。
 ここは、地元の人しか知られていない。昔、ケーブルカーできた人たちが必ず立ち寄ったところ。
 伊勢市街が箱庭のように見える。
 澄んでいれば、鈴鹿の鎌ケ岳や御在所岳や伊勢湾の向こうにある中部国際空港から飛び立つ飛行機も確認できる。

 宇治道に戻り朝熊峠へと向かう。
 ここからは踏み跡がない。白い道を歩いて一軒家の前に来ると、お犬さんの小屋は抜けの空である。この大雪でどこかへ非難したのだろうか。
 狼のような逞しい鳴き声が聞こえないと一寸寂しい感じである。(初めての人は、度胸を決めて通ること。怖いという態度は禁物。)
 玄関は開いているがこの家の主も留守のようだ。雪で車も動けないのに何処へ消えたのだろうか。
 
 朝熊峠から金剛証寺へ向かう。
 ここも、人が歩いた形跡のない楽しい道。
 15分位で金剛証寺へ着く。
 朝熊スカイラインは通行止めなのか車は走っていない。 お寺も売店も閉じたままで人気なし。
 不気味なほどの静けさは11日と同じである。

 東峰へ来る。レストハウス周辺も人気なし。
 誰もいないのにトイレの横にある自販機だけが動いていた。暖かいコーヒを飲み展望台へと向かう。
 答志島が白波の上に浮かぶ。その先に神島がある。伊勢湾を航行する船から汽笛の音が聞こえてきそうな穏やかな海をぼんやりと眺めていた。
 東峰から奥の院へ向かう。
 薄暗い樹林の中に高い塔婆が立つ。死者との面会でもするような独特の雰囲気に包まれている。先日、朝熊をこよなく愛した東浦さんを偲んで歩く。
 
 奥の院横から谷道を歩いて朝熊ケ岳へと向かう。
 谷道は、雪で完全に消えていたがここは我が家の庭のようなところーー。
 山頂には誰もいなかったが、本日登った人たちの踏み跡が周辺に沢山残っていた。
 伊勢湾口の神島が格好良くみえた。残念ながら富士山を見ることはできなかった。

 【朝熊ケーブルカー跡】

 【ケーブル駅舎上にある展望台から見た伊勢市街】

 【金剛証寺・太鼓橋】

 【東峰・展望台】

朝熊ハイク寸誌
2011年)

           出会いの広場

            朝熊峠

               山頂の竜神池
朝熊ケ岳(555m)
日 時 2011年02月11日(金)雪
コース 22町岳道〜東峰。
タイム 12時30分〜16時00分
人数  単独
寸 誌
 今日の登山目的。
 @朝熊山の大雪を撮影。
 A朝熊山を愛した友人の死。
  
 @三年ぶりに伊勢地方に大雪が降った。
 早朝から夕刻まで降ったので市内は5cmほど朝熊山は15cmほど積雪があった。雪はやむことなく夕刻まで降った。雪質が水けの多いベタ雪なのでゴァの雨具が最適だった。
 朝熊山の雪山体験は、三年に一回しかない。
 明日は雪が消えると思え。貴重な一日なので、重装備で行こう。
 冬専用のカリーマ40プラス50ザックに装備品(アイゼン10本爪・ワカン)一眼レフカメラ・中形ポツト・防寒着もを入れると10キロほどになる。
 出会いの広場には3台ほど車が留まっていた。
 岳道は、雪国という風情である。
 この景観は、滅多に見ることのできない
 下山、朝熊峠で天空街道を踏破した「歩くサラリーマサン」とであった。暫く話をしたが、健脚、あっという間に追い越された。

A朝熊山をこよなく愛した友人の死
 東浦さんといえば、小俣町と鹿海町の二人を知る人は多い。小俣町の東浦奈良男さんは、毎日登山で記録更新中の方。山渓本に度々登場する全国的な有名人。

 鹿海町の東浦九一さんも朝熊山を毎日のように登山していた。22町にある丸太の休憩ベンチを造り、登山道の整備をコツコツとなされていた。
 その東浦さんが2月8日朝熊山登山後、自宅に戻られ、突然意識をなくされ死亡した。
 行年81才だった。彼とは、昔「いせ山楽会」の山仲間たった。葬式に参列させていただき冥福を祈る。今日は、奥の院まで行って哀悼登山だった。

 【岳道ー登山口は雪国へ来たという風情】

 【金剛証寺】
 【奥の院】

 【三年前(2008.2.8)、伊勢地方に降った大雪】

朝熊ハイク寸誌
2011年)

            台湾娘(男性は、地元の人)

           朝熊ケ岳山頂

          竹内浩三の墓
朝熊ケ岳(555m)
日 時 2011年01月31日(月)晴
コース 22町岳道〜東峰。
タイム 14時00分〜17時00分
人数  単独
寸 誌
  自宅から出会いの広場まで最短距離(鹿海町経由)
を車で走ると10分余で来られる。
 14時、出会いの広場に到着。
 出発準備をしていたら 私の名前を呼ぶので振り返ると御園町高向のNさんだ。元、職場の同僚である。
 現役当時は、某市の要職に付かれていたので多忙人だった。退職後、仲間と朝熊に登っていると聞いた。
 
 14時過ぎ、下山してくる時間帯に出発だ。
 十町橋の手前に来ると、三人さんが降りてきた。
 娘二人と老人だ。
 娘二人は、山登りにはふさわしくないオーバのような長いスポーツコートを着でいるのが気になった。

 すれ違う際、「こんにちわ」というと、男の人からこの娘たちは、台湾から来たと話してくれた。
 なるほど、このスタイルの訳が分かった。
 男の人は地元の人で関係はなくたまたま山頂であったとのこと。
 台湾娘は、日本語は少々話せるがカタコトしか喋れない。カバンを開けて書類を見せてくれたが、鳥羽の旅館の名前が書いてあった。観光で来ているのか、仕事で来ているのか良く分からなかった。
 別れ際ヅァイヂェン(さようなら)といったら彼女もさらならと日本語で返してくれた。
 
 竹内浩三の碑
 奥の院、極楽門を潜ると直ぐ左手にこの碑が立つ。
 この詩を、読むと涙が出てくる。
 国のタメ大君のタメ死ぬーーその心や
 浩三の複雑な気持ちが伝わってくる。

【竹内浩三の墓】
【神島と伊良湖岬ー山頂から撮る】

朝熊ハイク寸誌
2011年)

            里から山へ入る。    

       鉄製の動物を捕らえる檻

       下草が茂る尾根道
朝熊ケ岳(555m)
日 時 2011年01月19日(水)晴
コース 西尾根旧道を行く。
タイム 10時20分〜15時00分
人数  単独
寸 誌
 出会いの広場へ駐車する。
 10分ほど歩いて、Aの辺りの里から山へ入る。間もな 鉄製の檻がある。多分猪を捕獲するのだろう。この先は人がはいっていない。シダの密生に悩まされる。避けて通れないところもあり、正面突破するも時間ばかり食う。単調な尾根にも嫌気がさし途中、谷へ下り西道コースをとる。やっと宇治道コースへ出たが、駐車場から1時間40分もかかった。

 三角点のある場所(NTTの電波塔の前)へ来ると懐かしい人が休んでいた。鈴鹿山仲間の石田さんだ。世間は広いようで狭いなぁ。
 彼女は、二人連で22町岳道から登り宇治道で内宮へ下山するとのこと。
丁度、昼食中。コーヒとケーキをご馳走になる。

 ここから、少し行くとTさんの一軒家が建つ。
 家の前の広場は、猟犬が四匹いた。
人の気配を感じると、雄叫びを上げる。実に訓練されていて動くものは皆適である。人間さま容赦しない、優秀な猟犬である。
 だが、お犬様もご馳走にも弱いようだ。御代(お菓子)を払ったらしっぽを振って歓迎してくれた。

 帰りも、御代を出すとバイバイしてくれた。
 下山は、旧の西道(国土地理院に掲載されている)を歩いた。相当の昔に歩いたが今はこの道も通る人もなく荒れていた。 

【軌跡図ー国土地理院25000】

【三角点前に建つNTTの電波塔】

【猟犬のお家】

【今日の主役たち】
         ギャング                       マスク             

【伊勢市街。手前、五十鈴川→ケーブル駅跡から撮る。】

【神島ー東峰足湯から撮る】

【旧西道を下る】

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