我が人生に山あり

近年、野生のエーデルワイスは少なく見つけることは、大変難しいと聞きました。2009年9月スイス・チロルエッツタル山郡氷河アイスマンが発見された谷の近辺でガイドのブリジッドさんが探してくれたものです。
いせ人の山応援歌
作詞Shunon  
作曲加藤登紀子
祐次郎風に唄う
この世に山があればこそ
うれし涙いくたびか
 親に貰った体ひとつで
 登りつづけた気持ち良さ
 鈴鹿だろうが
 エベレストだろうが
 わが山行に悔いはない
 わが人生に悔いはない
 

 日本の好きな名曲  Profile
 二十四の瞳 仰げば尊し
日本映画不朽の名作 木下恵介監督
 HH・Nemeは、「いせびとの山楽誌(やまたのし」)Shunonと申します。ホームページは、2005年4月開設。
 (独学、マスターするのに5年。何でもできるまで更に2年要した)
○趣味は、登山・自転車です。パソコンは、ライセンス取得。
○スポーツ→昔は野球(長島が現役の頃)、今はラクビー観戦。
○尊敬人→山哲学を持つ信念の人。植村直巳・加藤保男。

〇山との関わり
 20歳代で山登りを始めた。
 若き登山家の加藤保男が、世界で初めてエベレスト単独登山に成功したがその帰路帰らぬ人となった。母堂が書い山回顧録を読んで涙した。
 それから、エベレストを見たいとの思いを持ち続けていた。40歳代から山は全くご無沙汰していたが、定年前になって山登りを再開する。
 記念にエベレスト街道を歩いて長年の夢を実現した。

 植村直巳とは、同世代である。明大山岳部OB。
 エペ゛レストを初め世界5大陸単独征服。Mt.マッキンリーへ    1984年2月12日彼が43才の誕生日に世界で初めて厳冬期単独登頂に成功。翌日チャータ機との無線を最後にその後消息不明である。Mt.マッキンリーは植村直美の墓標となる

 2007.09.15、彼が宿泊したタルキトーナのロッジを尋ねた。彼の住い5号室を拝見した。質素な部屋に遺品がそのまま飾ってあった。

○白馬岳が登山の原点
 白馬岳へ初めて友と登ったのは、遠い昔(昭和40年代)のこと。下記、FLASHに出てくる「白馬尻」の前で撮った若き日の写真が懐かしい。あの日は、素晴らしい快晴だった。大雪渓を登るのに4時間以上(通常2時間半程度)もかかった。
 当時の衣類は、メンシャツの上に山用カッターシャツ。材質は、(今とは違い)汗を掻くと乾きが悪く重くなる。ウイドブレイカーは、綿で頭から被るものだが大雪渓では寒かった。
 雨具は、ポンチョである。当時は、人気商品だった。髙くてなかなか買えなかったが、白馬岳登山では役立たず。帽子は、翼の小さい変形チロリアンハット。格好は、良いが日よけが難点。水筒は、遠足用のナス型で0.7ℓ位で水不足だった。
 靴は、当時人気のキヤラバンシユーズ。
 アイゼンは、確か4本爪で山小屋で借りた。鉄製で重量があった。リュックは、ミレー30ℓ程度。(重くなると肩に食い込む) 当時、名古屋の駅前アルプスで買ったがなりの出費だった。現在の登山用品は、技術革新が凄い。当時から考えると夢のような山用具ばかりである。
 大雪渓中半に来て友から遅れてしまった。
 太陽が西に傾くと気温が一気に下がる。体温の低下で体力も限界に来て1人彷徨う。ふらふら状態で村営の山小屋に着いたのは夕暮れ近かった。
 当時の山小屋は、一階のみで天井が高くて寒い。とにかく低体温でブルブルと震えがとまらない。夕食が始まる頃は、寒くてフトンから外に出られない。1時間ほど後に夕食を食べたら元気になった。
 翌日も素晴らしい好天気であった。白馬岳山頂に登り大雪渓を下った。高山に登るのは、この日が生まれて初めてだった。低山と同じような感覚で登ったが、「寒さと疲労」を嫌というほど味わった。幸運にも2日とも好天気で無事帰還できたが、雨や風に吹かれたら死んでいた。
 今から考えると滅茶苦茶な登山だった。
 山行きの原点は「白馬岳」にあり。
2016.08.10白馬三山縦走。

〇老人と山哲学
 ある日、テレビを見ていたらプロスキヤーの三浦雄一郎氏の山の哲学を教わり元気をもらった。
 彼は、2013年5月80才でエベレストに登頂したが過去に心臓手術をしたこともあり三浦氏の肺活量は、2000台半ばと聞いて驚いた。これは、日本人一般女性程度並みの数字てある。
 肺活量は、運動などである程度維持はできるが老化現象なので限界はある。
 彼は、涼しい顔をして云った。普通の人が2時間で登れる山なら自分の体力に合わせたタイム(3時間でも4時間でも)で登れば良い。これが、老人になっても長く登山できる秘訣とか。エベレストへ登るのも同じ考えですと話していた。


○鈴鹿の登山グループ
 鈴鹿の山と谷(西尾寿三郎著五巻)を読んでから鈴鹿のヤブ歩きに興味が湧いた。
 GI-suzukaは、滋賀県側の鈴鹿ヤブを歩く登山グループである。
個人尊重で自由奔放な山歩きの伝統がある。自由なる天地を求め道なき道を行く山仲間たち、教科書に書かれているような山グループとはチト違うので普通の山人から見ると違和感があるかも。高年者中心のグループだが皆さん健脚でタフである。崖から突き落とされた子ライオンのように逞しい。
 我は(2017年)、70才台後半の年齢。
 グループ最高齢者の1人となる。
 体力の劣化は、いかんともしがたい。
 今後は、低山ゆっくり歩きの単独登山を目指す。
 
3番4番の歌詞に注目 蛍の光
稲垣千頴作詞・スコットランド民謡
現代卒業式の定番旅立ちの日に
栄光の架け橋 
山本潤子 卒業写真・翼をください
日本人の代表的な歌謡曲 
2009年 明治・早稲田大学校歌
 早明ラクビー国立競技場大合唱
ダークダックス 早春賦
春は名ののみぞ!!四重昌のハーモニ
滝廉太郎 荒城の月1
日本を代表する名曲をコーラスで 
童謡の名花 花かげ
唄安田章子とひばり児童合唱団
 
月のしずくを吸って咲く月見草の花
昭和24年発表 花の名曲
大正の名曲月の砂漠/織江の歌
山崎ハコの高音がこの曲にピッタ 
大正時代   船頭小唄
森繁とは違う味がある歌手不明  
渡辺はま子 愛国の花
歌詞、戦争高揚。曲は、名曲 
石原洵子 詩吟川中島
厳正粛々夜川を渡る
山口淑子五木の子守り唄
熊本県民謡 貧しさから少女が子守り
小林千代子旅のつばくろ
昭和14年作 物悲しいメロデイがせつない 
古賀メロデイ  三百六十五夜
昭和21年作 歌手不明だが聞き惚れる 
三橋美智也 古城/石狩川悲歌
昭和の品格ある大物歌手 
石原裕次郎 こぼれ花/赤いハンカチ
昭和40年代青春だつた人たちの想い出 
仲宗根美樹川は流れる
詩と曲がマッチした歌。何処か懐かしい 
これぞ名曲 恋人よ
五輪まゆみと美空ひばり
 
熱唱 ある女の詩/みだれ髪
天才歌手 
美空ひばり
村田英雄 無法松の一生
「度胸千両入り」独特のコブシまわしが光る
北原ミレ 石狩挽歌/石狩エレジ
何度聞いても新鮮
日本歌謡大賞 風の恋盆唄 
石川さゆり9月は越中富山の風
田川寿美 越後獅子の唄 
個性ある唄い方 
1970年代フォークソング 若者たち
空よ・遠い世界に・今日の日はさようなら
小林旭 惚れた女が死んだ夜
旭節、胸が張り裂けそうに悲しい。 
小林旭  惜別の歌
中央大学の学生歌
2015紅白最後の曲全員で 花は咲く 
学徒動員悲しくて胸が痛む。
昭和18年10月27日 学徒出陣
妙理山・余呉比叡おろし安田祥子 

 始めて白馬岳へ登山した昭和40年代のshunon
---ise出身のマウンテニァーズ さん作です。



自転車が疾走している姿は乗り物の中で一番美しい
山関連グッズ(2019年)
リュック Lowe alpine25
Mammutcreon32
Lowe alpine40
TheNorthFace 60
AKU、LOWATicamZamberIanPaine(雪山)
カメラ ORINPAS OMD E-M5
sonyDSC-RX100-6、
LeicaC
ビデオ  SONYAVCHD55X
GPS ガーミンEtrex 30XJ(2017購入)
スバル・;フォレスターXT(H25年度製)
四駆で山坂・雪に強く車高が高いので、山行に最適の車です。
自転車
CANNONDALE-F300(maidin USA)
内宮の奥にある剣峠(内宮から16キロ)辺りまで時々遊びに出かけます。剣坂を、一気に駆け上がることがライセンスへの登竜門と言われています。私は逆立ちをしても駄目ですがチャリ好きな人ぜひ挑戦して自分の力を試してください。